エストニアのイントロダクション

バルト海の東岸に、3つの小さな共和国が並んでいます。 北から順に、エストニア、ラトヴィア、そしてリトアニアです。 「バルト3国(Baltic States)」と呼ばれるこの国々は、1991年8月の「歌う革命」でそろって独立を果たし、ソ連崩壊の引き金を引いたことで知られています。 近代以降、共にロシアやソ連に支配されたことで一括りに語られることが多いですが、それぞれの国の文化はまったく異なります。

かつてポーランドと連合し、ヨーロッパ最大の国家を形成した「東欧」の国、リトアニア共和国。 ドイツ騎士団の影響が色濃く残るラトヴィア共和国は、「中欧」に属していると言ってもいいでしょう。 そしてエストニア共和国は、民族的にも、歴史的にも、そして地理的にも、フィンランドやスウェーデン、デンマークとの関わりが深い「北欧」の国です。 ラトヴィアの首都・リガとエストニアの首都・タリンは共に、バルト・ドイツ人の商人が活躍するハンザ同盟都市でした。ロシア帝国やソ連の支配で近代化が遅れたため、中世から近世にかけての街並みが綺麗に保存されています。そのため今は数多くのドイツ人が心の故郷を求めて訪れるほどで、世界文化遺産にも登録されています。 しかしエストニアの場合、その魅力は「ドイツよりもドイツらしい」あるいは「ドイツのロマンティック街道よりもロマンティックな」ことだけではありません。 地図上で、ドイツ騎士団の拠点だったリガとフィンランドのヘルシンキ、スウェーデンのストックホルムとロシア帝国の首都・サンクトペテルブルクをそれぞれ直線で結んでみましょう。2つの直線がちょうど交わるところに、タリンが位置しています。

ドイツ、スウェーデン、フィンランド、そしてロシア。 この4つの文化が混ざり合い、独特のエストニア文化が生まれました。 エストニア人は中世から現代に至るまで他国の支配を受けてきた苦難の民族で、そのためかシャイで控えめな性格の人が多いと言われます。 一方でその勤勉な国民性と高い創造性は、ここ20年で新生エストニアを一気にIT先進国に押し上げました。PCの普及率は世界一と言われ、ユーロ圏随一の経済成長率を誇るエストニアは、金融危機に陥ったヨーロッパの期待の星として注目を集めています。 このサイトでは、タリンを始めとするエストニアの観光情報や見どころの背景を説明しながら、追憶と希望の国「eストニア」の魅力をご紹介します。

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