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下町・南西部

下町の南西部は、町がハンザ同盟に加盟する以前からのドイツ商人たちの居住地。

閑静な住宅地の中に、タリン旧市街を代表するランドマークの一つ、聖ニコラス教会(ニグリステ教会)の尖塔がそびえています。



タリン旧市街・ラエコヤ広場の地図 - エストニア名所図会





聖ニコラス教会(ニグリステ教会)

ツーリストインフォメーションからNiguliste通りを西に進むと、木立の向こう側に大きな教会が現れます。船乗りの守護聖人、聖ニコラスを祀る「聖ニコラス教会(ニグリステ教会、Niguliste kirik)」です。

この場所に最初に教会が建設されたのは1230年のこと。建てたのはバルト海交易の要衝だったゴットランド(現在はスウェーデン領)から移り住んできたドイツ商人で、聖ニコラスに奉納しました。

聖ニコラス(ミラのニコラオス)はローマ帝国でキリスト教が公認された4世紀の修道士・大主教です。数々の奇跡が伝えられていることから、中世にはフランドル(ベルギー)やオランダ、ドイツの商人や船乗りから守護聖人として崇められていました。オランダ語では「シンタクラース」と呼ばれ、貧しい女性たちに持参金を恵んだことが「サンタクロース」の起源になったと言われています。

聖ニコラス教会は中世のゴシック様式ですが、17世紀の改築部分はバロック様式になっています。ナチス・ドイツの占領下だった1944年3月、連合軍の爆撃によって破壊されましたが、戦後に残された外壁などを使って再建されました。

1984年からはコンサートホールとして使われていて、ほぼ毎週オルガンの演奏会が開催されます。博物館にもなっていて、14世紀の建築用具やレリーフが展示されています。

展示品の中で特に印象的なのが、15世紀の教会絵画「死の舞踏」。生者と死者が共に踊るという奇怪なモチーフには、富める者も、貧しき者も、死が訪れれば身分や貧富の差がなくなって一つになるという死生観が込められています。

「死の舞踏」は15世紀の絵画や彫刻でよく使われたモチーフで、14世紀中盤にヨーロッパ全土で大流行したペスト(黒死病)や戦乱で恐怖にとりつかれた人々が狂乱状態になり、倒れるまで踊り続けた集団ヒステリーがモデルとなっています。

15世紀の北ドイツを代表する芸術家、バーント・ノトケ(ベルント・ノトケ)が描いたこの作品は縦1.6m,横7.5mで、ノトケが自分の作品の一部を自ら模写したものです。オリジナルの「死の舞踏」はリューベックの聖マリア教会にありましたが、やはり連合軍の爆撃によって失われてしまいました。

住所:Niguliste通り 3番地
開館時間:午前10時~午後5時(月曜、火曜は休館)
入館料:3.50ユーロ(子ども2ユーロ)


つるべ井戸の広場

聖ニコラス教会(ニグリステ教会)からラタスカエヴ(Rataskaevu)通りを少し北に行ってみましょう。Dunkri通りとの分かれ道が小さな広場になっていて、真ん中に井戸があります。ここが「つるべ井戸の広場(Rataskaevu Plats)です。

つるべ井戸は封印されていて、今は使われていませんが、こんな伝承が残っています。

この井戸は水の精が住んでいて、生贄を捧げなければ井戸を枯らしてしまうと信じられていました。住民たちは時々、生きた動物を井戸に投げ入れていましたが、ある時適当な生贄が見つからず、仕方なく死んだ猫を放り込みました。すると井戸の水はたちまち汚染され、それ以来使えなくなってしまったそうです。



さて、ラタスカエヴ通りを戻り、再びニグリステ教会が見えたら右手の細い路地に入ってみましょう。山の手に登るための近道「短い足(リュヒケ・ヤルグ、Luhike Jalg)」です。